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日本海に乗って雅の帝都をZIZOUさんと
中書島〜(01)


友在り遠方より来たる…
秋田の地より5年振りの輪友との再会。。

でも、少し時間が有るので中書島から
前回の気に成る所オバ…

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成22年05月15日  

いつもの京橋から
オケイハン乗って。。

前のまだまだサンとの
終着点の中書島からスタート。。

前回のまだまだサンの
感心した顔が目に映る〜

下は竹田街道

※踏み切り渡って〜

中書島駅〜
又ね!

※伏見港公園を通って
前回淀ポタ時に来たかった場所に。。
伏見港、川港の雁木ですね。

これが見たかったんですわ〜まだサン!
三栖閘門
昭和四年製、完成当初は
年間2万隻の船が行き交ったとか。
現在は天ヶ瀬ダムの完成で宇治川水位の減少で
堤防の一部としての機能とか。
毛馬は地元なんですが…
手前の門と向こうの門とで
淀川と濠川の水位調整したのですね。
京都外環状線の高架が邪魔。。。

※屋形船がヒッソリト〜

メインの水門。

宇治橋に似た肥後橋です。

肥後橋、
こんな感じ…

※伏見開港
414年(H20)
なんですね。

宇治川派流(1級河川)伏見港

※(舟付)雁木が何箇所か有ります。

宇治川派流

※新しい歩行者用木橋

宇治川派流
先は京橋

※濠川
見えるは阿波橋
向こうは大手橋

角倉了以翁水利紀功碑
(すみのくら りょうい)
戦国期の京都の豪商
朱印船貿易により安南と貿易を行った。
幕命により大堰川、富士川、
高瀬川(方広寺大仏再建時の材木運搬)、天竜川等の開削を行った。
地元京都では商人と言うより
琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に
「水運の父」と呼ばれる。

(Wikipedia、一部加文)

※伏見港の変遷

旧高瀬川です。
向こうは肥後橋

※双子の背高蔵が御出迎え。。

それぞれの顔〜



先の翁の角倉橋が有ったんですね。

※これは現代。。

路地出たら〜

前にお酒買った店。

北へ〜京都駅へ向かって。。

※千本格子が〜
でも。京都は沢山有るんですよね。
本日多数遭遇!

濠川に架かる橋の袂に
龍馬が寺田屋で伏見奉行の役人に
取り囲まれた時に避難した
西浜の材木小屋がこの辺り、と石碑
薩摩藩邸に助けられたんですと。

※フムフム〜

千本格子と同じ位
多かった地蔵様

※ランダムに取り付けられた窓。

伏見市境界杭見っけ!
昭和初期のもの
エエ天気に誘われて〜
久々の浮ドンとのポタ!
(散歩タはしましたが〜)
今回のテーマは、東西南北!とか。。
さて何所まで行けますか??

かもさん、まだまださん、
ねずみ君、福ちゃんは
お休み。。
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